自立した老いとは 老いのたわ言

 加藤校長は多くの手記、原稿に清書した随想、短歌、日記を残しておられます。
まずは当方が気付いたものを順次紹介し、最終的には編集のし直しをさせていただきたいと思います。
  先生は96歳の時に思いつくことをまとめた冊子「老いのたわ言」も残しておられます。その「たわ言」のメモから少し紹介します。

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「老いのたわ言」
■5月になっていよいよ夏日の暑さ。
 うれしいことに庭の山野草がすこぶる元気だ。土にすがって早朝の庭をひと巡りする。朴の葉が緑の天蓋となり、生き残った草のあれこれが元気になり嬉しい。 
 去年箱根仙谷の山草屋でいづみの買ってくれた野草が、全部元気に生き残り、いくつもの花が今年も見られること。生きがいここに在り。
 ウマノスズクサ、ニッコウキスゲ、ヤマラッキョウ、ヤマブキソウ、クジャクキキョウ、シロベナタツナミソウ、ニニンシズカ・・・。書ききれない喜びは私の生きがいだ。
 おしゃべり、音読、下手な歌、お経も電話も怒鳴るのも、みんな声帯の活動である。声帯を活動させねば弱るばかり。声が弱くなり。声に力がなくなるのもしゃべらないからだ。声を出す努力をしよう。人は一日どれほどの声を出すのだろうか。

 反復使用によって発達し成長する人間の能力は、使わなければ驚くべき速さで衰え老化する。老化で衰えた能力の回復は、反復使用あるのみ。
 病気は薬や医師の治療で阻止し、回復することが可能だが、老化防止には医師も薬も役立たないことが多い。強い意志を持った反復活用とその努力が唯一の対策だ。

■老人多忙などと言うと、老人ほど暇で時間を持て余しているものはないだろう、何が忙しいのかと叱られそうである。
 寝たきりで生活一切を介抱してくれる人がいてくれる場合は、テレビでも見て横になっている以外は何もすることがない。いわゆる老人生活で多忙などとは一切縁のない日々であろうが、介護や援助をしてくれる人が誰も居ず、自分の身の回りから家事一切をしていかなければ生活のできない私のような者は、生活時間に追われて毎日忙しさと闘って生きている。

■日本の大都市には驚くほど多くの専門医院がある。大病院の窓口に行くと、これは病院ではなくて医学の研究所かと疑うばかりの専門窓口が並んでいる。ところが、病人が最も多いだろうと思われる高齢者専門の病院も病院窓口も見当たらない。これはいったいどうしたことか。
 老人は金もうけにならないのか。老人の病気なんて研究する面白さもメリットもないのだろうか。そもそも老人の病気は病気でないのだろうか。

■ 老人であってもその言行に責任を持とう。自分の言行に責任を持たなければ、それは飼育された動物の一つに過ぎず。

自立した老いとは 老いの心得 その2

老いの心得 その2

素直に老いを受け入れよう

 人がまず老いを感ずるのは体力の衰えである。それが一番端的に感じられるのは足腰の衰え、続いて平衡感覚の不安定さだ。片足立ちがひどく不安になり、立ったままでズボンを履いたり脱いだりするとよろけがちになる。

 加えて注意力の集中時間が短くなる。読書でも作業でも1時間や2時間くらいは時間など気にせず熱中できたものが、30分も同じことを続けるともう駄目になる。絵など描いても一気に引くことができる線の長さが段々短くなる。 

 さらに進むと、五感が自分ながらいやになるほど不自由になる。目が見えにくい。白内障が進行する。耳が遠くなる。後から来る自動車の音などが聞き取りにくくなって、はっとすることがしばしば。テレビやラジオの音量が、知らず知らずに増えている。
 数え上げるときりが無いが、要するに幼児から次第に訓練され身についてきた力や感覚が、次々と衰え弱くなって来る。
 
 まったく昔の人が言ったように、老化とは赤子帰りである。幼児の場合には次々と力を獲得して行くときの過程で希望いっぱいであるが、老化の場合には先に希望のない時々刻々の流れがあり、悪いことに体力も感覚も完全であった若い時の記憶があるだけに、余計心細くなりイライラすることになる。

 そのために足腰が痛むとリハビリに頼り、視力の衰えには眼鏡だ、白内障手術だと。また補聴器をつけたら聴力が取り返せないかと、いろいろな器具を求めたり、あの医者この医者と医師に頼って、何とか昔の若さを取り戻そうと走り回ることになる。

 しか考えてみると体力にしても感覚にしても、そのひとつだけが弱ったり故障したりしたのではなく、どれも一斉に衰えて来るのである。それこそが老化の進行なのだ。老化の進行は生命が徐々に限界に近づくことであって、生きている者にとって避けることのできない宿命である。

 母の胎内を出てこの世の空気を吸って以来、一刻の休みもなく生命はこの終局に向かって進んでいるのであって、例外は一切ない。

 それが何とかならないかと右往左往するのが人間である。なまじ智慧に恵まれているだけに他の生物のように素直になれない。

 秦の始皇帝の例に見るように、あらゆる富や権力を手にした人間が最期になんとしても手に入れようとあがくのが不老長寿の願いであろう。しかし思い通りに不老不死を手に入れた者は誰もない。

 それだったら少々発想を転換して、老化を避け不老不死を望むよりは老化を絶対避けられないものと素直に受容し、受け入れるためにどう考え、どう生きたら良いのかを考えたらどうだろうか。

 知り合いの老人に自分の老化の話をすると決まったように帰ってくる答えは、「どこそこの医者にリハビリを受けると腰の痛みが軽くなりますよ」とか、「白内障の手術は簡単だからぜひおやりなさい」とか、「良い補聴器の世話をしてあげよう」とかいうことである。
 さすがに記憶力が減退したことや精神集中の時間が短くなったことには何の言葉も返って来ない。これらは名医や良薬も無さそうである。

 私が今思っているのは体力や気力など五感の衰えは、私の命がたどる大きな流れの中の一つであって、それらの全部が調和しながら命の終焉に向かって進んで行く自然の流れであって、それを素直に受け入れることが安楽往生への最良の方法であると思う。

 生涯宗教心には縁遠く、人生の悟りも得られず極楽往生の安心もない自分などは,せめてこれ位のところが行きつくところのようである。

自立した老いとは 老いの心得 その1

自立した老いとは 老いの心得 
その1 事故を防ぐために

 元小学校長だった加藤盛夫さんの手記の紹介を続けます。

 加藤さんは2001年(平成13年)に90歳を超えました。それを機に小冊子に随想をまとめています。その主題は「老いの心得」です。最近高齢者の交通事故が目立ちますが、ここには老いた者がどのような姿勢で暮らせばいいのか、そのヒントが読み取れると思います。

小冊子の冒頭は以下の文章で始まります。

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 おかげさまで90歳を越えました。友人知人の多くが幽明境を別にして、本当に生き残りの感を抱いております。もう遠慮無く、私は老人ですと言えるような気分になりました。
 老人として生きている人間の、老人として心に浮かぶあれこれを、暇に任せて少しずつ書き記してみたいと思います。         平成13年6月19日 盛夫

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そこからの抜粋を以下に紹介します。

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自転車とのおつきあい

 足腰がひどく弱ったのでごく近い所へ行くにも歩行困難となりました。そのため自転車の利用が多くなりました。まだ車椅子でないだけ有難いことです。

 このころやっと気の付いたことですが、自転車に乗るのは脚と腰のバランスで動いていることです。子供のころ、まだ自転車を習い始めた時は、すごく不安で必死になってハンドルにしがみついていました。ハンドルを握る手に力を入れれば入れるほど自転車の動きは不安定になります。
 段々と自転車に乗ることが上手になると、自然に脚と腰でバランスを取り推進することができるようになりました。そうなるとハンドルの方はごく軽く握っておればよくなり、手に力を入れなくてもいいようになり、不安なく気軽に自転車に乗れるようになりました。

 ところが齢をとって足腰が弱くなったこの頃では、子どもの頃の習い事で始めた様に脚と腰で自転車のバランスを取り、推進することができなくなりました。自然とハンドルを執る手と肩に力が入り、その結果自転車の運転が昔の習い始めのようになり、とっさの変化に応じることができなくなりました。平衡感覚も衰えて、狭い所を通ったり対向の人や自転車があるとひどく不安になり、ハンドルを握る手や肩に不要な力が入って運転が不安定になります。自転車も若い時のように気楽な乗り物では無くなりました。

 そして学んだことは、「待つことの効用」です。怖いと思ったら自転車を停めたり降りたりして待つことです。どうせゆっくりした時間を生きている老人です。一歩先に行かなくても下車して待てばいいのです。

 待てば安全です。譲って待てば感謝してもらえます。老人になってやっと待つこと譲ることの効用を学びました。
 颯爽と風を切って走るのも自転車の楽しみですが、老人にとっては足腰の弱りを助けてもらう大切な道具です。この大切な道具と上手につき合う為に、老人としては「待つこと」「譲ること」をしっかりと身につけようと思います。危ないと感じたら車を停め降りること。それが老人の生活の智慧であり老人らしい生き方だとやっと気づき始めました。
 
 狭い道で向こうからくる人や車のために自転車を降りて待つ。「有難う」と言ってくれたり、笑顔で会釈してくれたりする。老人になって知らぬ人から「有難う」と言ってもらったり笑顔をいただくことは、お金に恵まれるよりもっと嬉しいことです。
 変化の少ない老人生活にそれは貴重な恵みになります。
 それだけで一日幸せになれるのです。

自立した老いとは 96歳の自炊メモ

自立した老いとは 独居を通した校長のメモから

 「自立した老いとは」をしばらく休筆していました。当方が仕事に追われたためです。以前少し紹介してきましたが、恩師加藤盛夫校長の原稿、メモ類はまだ多く残っており、そこには老いの辛さ、孤独と向き合ってどう暮らすのか、ということへの知恵と経験が豊富に語られています。また時間を見つけてはそれらの紹介を続けていきます。

 加藤さんは奥さんを見送られてから20年近く、独り暮らしで自炊をし家事もこなされました。今回紹介するのは、96歳の時に書き留められた原稿です。高齢者の食事、料理に何が大切なのか。歩行が困難になり、ヘルパーさんに頼むための気遣い、などが具体的な日々の経験の中からまとめられています。原文はレポート用紙6枚にまとめられており、この執筆もボケ防止に試みられたと思われます。

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「独居老人 自炊の食生活 覚え書」 加藤盛夫(96歳)

 平成元年1月の初めから独り暮らしの生活を始めて、以後今日(この執筆は2007年、平成19年か)まで、自分の食事は自分で作ることを目標にして生活を続けてきました。妻が在生中は“男は外で働き、家事一切は妻の責任範囲で男は口出しすべき事に非ず”という日本社会の古いルールに則って暮らしていました。

 幼い時から苦しい生活を続けて来たおかげで、食物に好き嫌いが全く無かったことは、男子の独居生活の食事作りにはとても助けになりました。
 自分で食事を作りはじめたころは、まったくの素人なので毎日失敗の連続でしたが、出来損ないの食事のおかしな味付けでも、毎度おいしく食べられたことで、自炊を中断することなく続けられました。もっとも独り暮らしで誰も不平を言う者もなかったことも助けになりました。

 とはいってもおかしな味の食事を食べることに満足していたわけではなく、何とか少しはまともな食事を作りたいと、昔の母の料理を思い出したり、テレビやラジオの料理番組をメモしたり、自分なりの勉強はしたつもりですが、どれもあまり興味がもてませんでした。

高齢化と食事

 八十歳代の中頃から食事の量が少なくなり、肉類や魚のような高脂肪、高蛋白質の食事も好まなくなったので、いわゆる美味美食への興味も減少し、これを幸いとして肉や魚から野菜中心の食材に変わってきました。

 特別健康のためではなくて、自然に自分の体がそのように変化するもののようで、食事も素直に自分の体に従うのが一番良いことと考えるようになりました。

 栄養の専門家や医師などが、食事が偏らないよう注意しています。しかし高齢になったら栄養の本などにあれこれ書かれているカロリーや栄養素などに気を配るより、素直に自分の体が何を要求しているのかに耳を傾けることが大切と考え、それを実行しています。

 高齢化が進むにつれてあまりいろいろなものを食べ過ぎず、むしろ長い間食べ続けている食事の方が消化する自分の体の方も対応が良いように思われます。特に消化器の弱い自分などは不慣れな美食がかえって良くないとも感じています。

 また高齢化が進むと体力も目立った落ち、ことに足が弱くなって台所での立ち仕事が苦しくなることから、ついつい立ち仕事を避けた食事に偏りがちになるので、よく注意しなくてはなりません。

 「栄養より安全」「美味より無事」を考え注意することは、特に独り暮らしの老人にとっては何より大切です。そのために自分は90歳に近くなるとともに自分の作る食事の中から、ガスなどの火の事故を起こしやすい揚げ物、フライものなどの油使用の料理は極度に少なくしました。
 また同じように長時間火について居なくてはならないような茶碗蒸しを始めとする蒸し物料理も作らないこととしました。揚げ物、蒸し物などは食べたくなったら外食すればいいと考えているます。シチューやカレーなど長時間火にかけなければならない堅い野菜、豆類の料理も極力避けることにしました。
 やけどをしないことと、火を出さないことなどは、調理以前の重要事項であることを忘れてはなりません。

調理中の安全について忘れてはならないことは以下の通りです。

1.調理中は絶対禁酒、酒を呑むのは調理が終わってから

2.電話のベルが鳴ったらガスを切ってから

3.調理とテレビやラジオは同時にしない

4.地震、雷など急な事故の時はガスや電源を切ってから台所を出る

原則 3度の食事

 自分で食事を作るようになってから、一日に3度の食事の原則は固く守り、間食や夜食をしなくなりました。
 種々の集まりなどで外食をする場合も、一日3食のルールを壊さないように注意しています。
 一日3食のルールを乱すと、特に高齢者はこのルールに戻るのに苦労します。いろいろ不都合が多くなるので注意が必要になります。

 自分は一日3度の食事について、大体は次のような献立を原則としています。

朝食 ほぼ固定して例外はほとんどない。
パン フランスパンのバケットを主として、トーストパン、レーズンパンその他を使用することもあり。ジャムも
牛乳1本 常に温めて飲む
野菜(サラダ トマト中1個、レタス1から2枚 レタスにはドレッシングをかける。グリーンアスパラ、キュウリ、キャベツなどを加えることもあり)
ゆで卵1個。

昼食 ごく軽く。朝食の時間が遅い時は昼食を抜いて一日2食のときもあり。

昼食は特に手をかけず、残りものやパン、麺類、クラッカー類、餅、インスタントのおかゆなど。

夕食 原則白米のご飯に味噌汁、香の物。

果物を別にしておかずは野菜、肉又は魚類を加えて4,5種以上として一番献立も工夫しました。

歩行が辛くなり
 しかし材料の購入をヘルパーさんに依頼するようになり、最も苦労しています。  歩行困難になり、週2回ヘルパーさんに食材購入を依頼するようになってからの気遣いを記します。

 ヘルパーさんに買い物をお願いする時間は、一回ほぼ1時間以内。その時間内に食料品、日用品、薬類、衣料品、電気用品、文房具などなどあらゆる買い物をお願いするために、事前に綿密な計画を立てておかないと時間内に全部買えないこともあります。
 特に生鮮食料品や魚類は、市場に出回るシーズンがいろいろ変化するものもあり、料理献立は3日分や4日分も立てることが困難です。

 料理経験の浅い老人男子などには、何日分かの食事の献立を予想し、その分量を決め、買ったものが余って痛んだりしないよう考えて購入を依頼するのは困難なことです。
 歩行自由で毎日スーパーに行き、出回っている食材などをあれこれ見て回り、夕食の献立を考えることは、なかなか楽しみもありましたが、今は全く苦労の連続です。

                              この項終わり

取材過程の報道とは

 取材過程報道の持つ意味

 新聞は取材過程を明らかにしない、という批判がある。しかし新聞紙というニュース媒体は紙数が限られており、その過程を載せるスペースがなく、それゆえにその取材過程も情報だという視点が生まれなかった。

 しかしフェイクニュースの氾濫に対処するためにも、ニュースの取材過程の公表は有用だ。公表される取材過程が信頼できるものであれば、まとめられた記事、映像の情報が事実であることの有力な証左になる。またその過程の伝達は新たな情報を加えることになる。
 これは捜査機関が、その取り調べ過程を映像に残し、公表することによって、捜査の信頼性を確保するのと同じでもある。

 取材過程こそ見落とされているニュースだと感じていたのは、当方が事件現場を回っていた30年ほど前からだ。
 事件の当事者宅に取材に出かける。玄関で何度もインターホンを押す。しかし相手は出てこない。新聞では相手に会い取材できなければ、1行の記事にさえならない。

 しかしテレビの映像だと、それは豊かな情報を伝えるのだ。何度押しても返事のないインターホンは、家主の頑なな拒否姿勢をしっかり伝える。また窓のカーテンの隙間の明かりも、報道機関を拒絶する家人の情報になりえる。そして家の構えは、その対象者の暮らしぶり、経済力も視聴者に教えるのだ。

 テレビという情報媒体、そのユーザーインターフェイスが情報の幅を広げた。
 パソコンから携帯電話、そしてスマートホンと媒体は進展し、その運ぶ情報も対象、質も変わっている。
 テキストに音声、映像と、伝える情報の種類を拡大し、しかもそれを伝えるツールが各自簡単に持ち運べる、つまり情報入手の場所、方式もどんどん拡大していく。その伝送路やユーザーインターフェイスの大きな変化に対応した情報モデルはまだ完成していない。しかしやがて新聞、ラジオ、テレビ媒体形式に変わる次の世代の情報伝達パターンが完成し、ニュースの世界はさらに変貌を遂げていくはずだ。そしてその時代には、より多様でかつ精度の高い取材力が求められることになるのだろう。

自立した老いとは 資料編3

 資料編として、原田先生の絵手紙の紹介を続けます。

 原田先生に伺うと、先生と加藤校長との絵手紙のやり取りは、1993年(昭和58年)頃から2009年(平成12年)頃まで続いたそうです。加藤校長の83歳から亡くなられる99歳までの16年間です。

 加藤校長から原田先生のもとに届けられた絵手紙は157枚、そして加藤校長のもとに保管されていた原田先生の絵手紙は120枚でした。

 お互いに保管されていた絵手紙が、お二人にとっていかに大切なものか、心の支えになっていたかを物語っていると思います。

 その多く紹介していきたいと考えています。以下に掲載しますが、それぞれの葉書面をクリックしていただけば、拡大され見やすく、読みやすくなります。

 

 

自立した老いとは 資料編1

「自立した老いとは」のシリーズがしばらく中断していました。

 昨秋から当方に仕事ができ、久々早朝からの通勤に追われ、ブログを制作できませんでした。しかしこのシリーズのもととなった恩師お二人の書簡は大量にあり、それを読ませていただくことで、我が身の老い、暮らしを考える機会を維持していきたいと思っています。

 そこで今できることとして、恩師二人の書簡などの一部を少しずつここに紹介し、皆さんにもご覧いただき、今後時間が確保できたときに、その書簡から学べることをまとめるという段取りにします。

 今回からしばらく、先のシリーズで紹介した加藤盛夫校長が書簡を交換しておられたお相手の原田雅司先生が、加藤さんに送られた絵葉書を掲載します。

 

 

自立した老いとは 資料編2

 原田さんはご夫婦で多くの旅をしておられます。
その先々で加藤さん宛の絵を描き、投函してこられました。
 左側の絵につけられた便りを右側に掲載しています。

 文面からお二人が頻繁に絵葉書の往復をされていたことが
伺えます。

自立した老いとは 恩師の書より       その1 

 このコーナーでは、私の小学校時代の恩師とそのまた師である校長の二人が10数年にわたって続けた手紙の一部を紹介します。

 私の恩師とは小学校6年生の時の担当で、今も時々手紙やメールをやり取りし、たまには飲み、そして同窓会も開かれています。

 小学児童だった私たちがなぜ担当教師にそこまでなついたのか。今も親しくお目にかかるのか。なかなか言葉で表しきれませんが、基本は私たち児童と対等な目線で指導をしてくださったことにあると思います。

  その恩師が師として尊敬しつづけたのが、初任地小学校の校長でした。特に校長が99歳で亡くなられるまでの晩年の20年近く、他人の世話にならないように日々努力し、独居を続けられた姿に大いに学ばれたようです。

  お二人が交換された書簡は、絵手紙も含めかなりの数になり、まだ整理を進めています。取り合えず絵葉書を含め20通ほどをここに紹介します。

 高齢者社会での自立した男の生き方、その模範、理想の姿がこの書簡に記されています。無論男だけなく女性にとっても、自分の老いとの付き合い方、豊かな生き方の範をそこに見い出すことができると思います。このブログ「自立した老いとは 恩師の書簡から その2」以降をぜひご覧ください。

  恩師の名前は原田雅司さん その校長は加藤盛夫さんです。
 お二人の簡単なプロフィールは後のブログ「その10」に掲載します。

まずはある雑誌(※)に掲載された原田さんによる加藤さんの紹介を抜粋します。

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   私が、40数年前、大学を卒業し、初めて小学校の先生になったとき、その時の校長先生であった加藤盛夫さんという方がいますが、現在93歳(執筆当時平成16年)で元気に独り暮らしをしています。10数年前、妻に先立たれ、それ以来誰にも頼らず、まさに独りで食事、洗濯、生活の全てを自分でやっています。今も毎年、毎年、一年の目標を定め、「あせるな(無理するな)、あきらめるな(ぼちぼちでいい)、歩みを止めるな」と日々懸命に生きています。

 私は、この先生と毎月絵手紙を交換し、もう10年近くになります。この絵手紙の一枚をご披露します(下部に表示した絵手紙「春近し」)

 見てください。「寒風の中、河原のネコ柳の芽がふくらんでもう節分。残り少ない人生だから、一層春の来るのがいとしいです。いつも御恵与くださる絵手紙にどれほどなぐさめられるか、感謝の気持ちでいっぱいです。一生けんめい生きていることが、楽しく永眠できる秘訣と信じています。今日も全力投球の生活です」と書いておられます。
 まさに男の自立した生き方の手本、人生の手本と思っています。

※「あいち いきいき人生」(愛知県社会福祉協議会・長寿社会センター発行・vol28 2004年春号)
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以下は加藤さんが原田さんに送った絵葉書の一葉です。

自立した老いとは 恩師の書簡より       その2

 ここから元小学校長加藤盛夫さんがその元小学校教諭 原田雅司さんに
宛てた書簡を順次紹介します。

 まず加藤さんの90歳の時の手紙です。視力や脚力が衰え、趣味を生かした
暮らしができなくなった時、どう対応すべきか。その生き方示されます。

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平成13年(2001年)3月18日 加藤盛夫先生90歳

 老人の誤算 こんな筈ではなかったのに

 本も若い頃から好きであったし、脚はわりに丈夫だったので散歩はとても楽しみにしていました。そのため自分は年をとって独り暮らしになっても、好きな本を読んだり、草木や石ころや小動物たちに接することのできる楽しみがあるから、退屈な老人生活をするようなことは無いと、たかをくくっていました。

 ところが90歳近くなって急に歩く力が無くなり散歩どころか。「歩く」ことがすごく重労働に思われるようになりました。以前は歩くことなど殆ど無意識に出来ることで、歩き乍(なが)ら植物や昆虫の観察をしたり、歩き乍ら下手な短歌や俳句も手紙に書き溜めて楽しんでいたりしたのですが、歩くことが重労働と感ぜられるようになると、歩くだけで精いっぱいで、歩き乍ら考えたり、観察したりすることなど全くできなくなり、散歩が苦しいだけで少しも楽しいもので無くなりました。

 視力がひどく弱くなって本を読むことも苦痛になり、少し読書をしても直に疲れてしまう始末です。

 そんなことで、散歩と読書の楽しみがあるから老後も大丈夫と思っていた自分の考えが大誤算であったことを、しみじみ思い知らされています。

 散歩や読書が出来なくなると同時に、ものを考えたり、何かに感動することも極端に少なくなりました。好奇心や野次馬根性がすっかり衰えました。その上集中力の持続時間が極端に短くなりました。 
 身体の力も、五感の反応も精神力も一度に弱くなった感じです。

 高齢者生活といってもあるところで大きな段差が付くことを自覚しました。
 高齢者生活にも「前期」と「後期」が有るように思われます。

 ゆっくりと趣味を生かし、積極的に人生を生きようと思えるうちは「高齢前期」だったと思うようになりました。
 前期、後期の分かれ目は年齢ではなく、個人差の多いもののようです。私の場合は八十八歳から八十九歳がその時だったようにお思われます。
 高齢者問題が深刻になって来るのはどうもこの後期(私が勝手に考えたものですが)のような気がします。

 歩行の困難、視力、聴力、思考力衰弱になった高齢者は老人病院や福祉施設に行くよりないのでしょうか。

 まだ何とか救う道が有るような気もするのですが、具体的な方策が思い当たりません。幸か不幸か自分がその段階に入ったようなのでいろいろ考えてみたいと思っています。ご教示ください。(疲れたので今日はこれまで)