自立した老いとは 恩師の書簡から      その8

平成17年(‘05年)3月29日  加藤さん95歳

 老人天国の現代老人福祉施設を見ると、家の片隅にひっそり寝ていたり、終日一人ぼっちで日向ぼっこをしていた昔の老人たちの姿に比べて、全く天地雲泥の相違があります。まさに此の世の極楽の感です。但し、この極楽も無料ではありません。地獄の沙汰も金次第という言葉は、昔ばかりではないような気がします。老人を恰好の金もうけターゲットとみている人が居なければ幸いなのですが・・・。

 閑話休題

 新しい老人の介護、福祉の施設を拝見すると、広々とした部屋、バリヤフリーの行き届いた施設、静かで緑に囲まれた環境、居室あり食堂あり娯楽室あり、リハビリー施設、入浴施設ありという具合で、戦後苦労して手に入れた自宅に比べると、言葉通りの極楽世界です。

 体力が落ち、行動能力が衰え、いろいろな感覚機能も弱くなった老人、日々自分の生活にいっぱい不便と不安を感じながら、それに耐えて日々を送っている老人達に、何の苦労も心配もない、安全快適な生活が提供されています。

 移動しようと思えば直ぐ車椅子があり、歩行介護があり食事は食堂の椅子に座れば直ぐ運ばれてくる。身のまわりの掃除、洗濯も自分でやる必要は何もない。入浴も衣類の着脱もみんなやってもらえる。どれも自分で後片付けなどする必要は全く無い。買い物に行くのも用足しに行くのも、ベットや車椅子の上から、お願いしますといえばすべてかなえられます。リハビリーを受けるにも、散歩をするにも常に介護者がついていて何も心配する必要が無い。まさに天国の暮らしとでも評すべきであろうか。

 だが、一寸待ってよ。

 幼児を育てるときに、彼等が、まだ体力不十分であり行動力不完全であって、何をしても失敗が多く、不完全だからと言って、すぐに周囲の大人達が手助けしてやることが、その成長、習熟に必要なのであろうか。少しは失敗があり、あぶないことが有っても、注意して見守りながら、それを経験させることによって成長して行くところに幼児教育の大切なところが有るのではなかろうか。

 昔から、老人に甘やかされて育った子は駄目になるなどとと言われたのも、子供が自分で出来ないことがあっても、それを長い目で見守ってやることの大切を言っているように思われる。
 苦労しても、自分でやってこそ子供は力をつけて育っていくのであろう。

 注意して見守りながら、自主的な活動をさせてやることが幼児教育の秘訣であるとしたら、老人の介護についても、それが何らかの参考にならないだろうか。

 自分で目標を決めて、それが完成しようとするときには少々の苦労も時間も忘れるものであり、自分のきめた目標が完成するとき、初めて生きている喜び、働く喜びを感じます。

 綿密な介護スケジュールも大切であるが、自分自身に目標をきめて、その目標に向かって努力することも大切に思われる。

 介護、福祉の施設の中では、それが一つの集団社会である以上、入居者がそのスケジュールに従ってもらわなければ、社会生活の維持はできないであろうが、入居老人の一人ひとりが自分の生活目標を持ち、自由自主的に運動することが大切であろう。

 きちんとした生活スケジュールの中に、どのように自主活動を組み込んでいくか、集団としての活動と個人活動をどう調和させていくか。
 集団生活と個人生活の調和、バランスをうまく組み合わせて行くことは、とても難しいことと思われますが、それはとても大切なことではないでしょうか。

 多数の入居者が、秩序正しい集団生活をしながらも、その一人ひとりが心から自分の生活や目標を持ち、生きている自覚と喜びの中で充実した老人生活が送れたら、これこそ真のごくらく暮らしとなることでしょう。

 日本の社会が老人天国となることを、心から祈っているのが老人の本音です。

 「有料島流しさ」と自分をあざけっている入所中のある老人
 
 「お金のある人はいいね、貧乏人の私たちには縁のない世界ですよ」とあきらめ顔の独身老人

 「お母さんが施設に入って呉れたおかげで、やっと自由な生活ができます」と、やれやれという顔のお嫁さん

 「あれだけ立派な設備の施設に入れておけば、誰にも親不孝なんていわせないよ」と自慢している新興の成金

 ほんとうに、親や老人の幸福だけを思って施設に入れているのだろうか。厄介払いの入所はないだろうか。他人への「みえ」や「ていさい」保持のための入所は無いのか

 入所後しばらくすると誰も来ない入所は?

 

「○○〇もおだてれば、木に登る」というあざけりが有りますが、「ほめ」上手の原田雅兄にうまく乗せられて、少々いい気分になって恥知らずの駄弁を重ねているようで、少々ならず気が引けますが、老人の寝言と思って辛抱してくだされば有難いことです。

 年とともに気力も無くなり、何をしても注意の集中時間が続かなくなって、物を考えるのも、文章を書くのも十分に意を尽くさないうちに疲れて、投げ出したくなります。

 文章を書いても誤字、脱字も多くなれば、文字も乱れて読みづらく、恥ずかしい限りですが、老人の世迷い言として読んで下されば幸甚です。

 これからも思いついたことがあったら書いてみますから、御笑覧下されば幸いです。
                                盛夫