新聞の再生のために その1

 ネット時代の新聞記事とは

 別項「新聞のブラックボックス・新聞社の商品管理」などで、現在の紙面掲載記事がどれだけ読まれているか、その閲読状況を把握する必要性を指摘した。それに関連して、新聞が掲載している記事について見直してみたい。

 専門紙は別にして、大方の新聞は情報の百貨店といってもいいほど多様な分野の取材、編集を続けてきた。新聞の総合性は、読者の知的視野を広め、国民の識字率の向上だけでなく、知的関心の拡大などでそれなりに大きな貢献を果たしてきた。

 紙というポータルサイトの特徴を生かし、馴染みにくい政治や経済、科学あるいは文化などをひとまとめにしてあらゆる読者に届ける。このために当初は関心を示さない読者にも、硬派な、少し難しい異分野の情報を目にさせる。新しい分野の情報、知識に目覚める機会をあたえる。この新たな出会い、セレンディピティが新聞の楽しみにもなっていた。そしてこの情報提供のある意味の余分さが、教育文化の振興に貢献してきたといっていい。

ネット社会での新聞が再評価されるために

 そして読者が求める情報以外も一緒に届けるという「余分さ」は、ネット情報の拡大とともに改めてその大切さが再認識されるはずだ。

 ネット情報は、情報のタコツボ化、排他性を生み出す。これは20年余り前のネットの揺籃期にすでに指摘されていた。(キャス・サンスティン「インターネットは民主主義の敵か」など)。

 そして今、ソーシャルメディアや検索サイトの中から購買記録や検索履歴を収集し利用者の好みを把握して提供する、いわゆるリコメンド機能の危険性も生まれている。
 ユーザーは自分に合った情報のみを自動的に提供される。さらにフェイスブックのようなソーシャルメディアであれば、その情報の値打ちは、友達の「いいね」表示などに大きく影響される。このような状況を踏まえ林香里は「ニュースへの信頼の基準は真実か真実でないか、正確かそうでないか、ではなく、発信源が友達側からかどうか、となっていく可能性もある」(「メディアの不信」)と警告している。
 リコメンドされ、友達に承認された情報のみでユーザーが自分の思考、暮らしの空間を作ってい行くことには危うさがともなう。
 自分の好む考え方、価値観、心情、趣味が一致する情報のみをネットで選択し、同じ思考方法の者たちが固まってコミュニケーションを深める。そしてそれが自分並びにグループの優越性という心理も生み出す。サンスティンの予想は現実になり、ヘイトスピーチなど、極端な主張、思考法をネット上に目立たせている。

 林の掲げる「広がりながら閉じていくネット空間」という情報環境を考えると、ネット社会ゆえに今一度、他の情報と出会える新聞という情報モデル、そのコンテンツの再評価がされるべきだと思う。

 ただ新聞のコンテンツの有用性はあっても、それを伝達する媒体、紙をポータルサイトとしたビジネスモデルの衰退は回避できない。
 
 新聞が情報の余分さ、読者の求める以上の情報を提供できた背景には、新聞紙によるビジネスモデルの優秀性があり高い収益が獲得できていたからともいえる。
数百人から千人を超える記者、編集者を雇用できた国内の新聞各社は、配達制度の充実とともに安定した収入を得ることができていた。
 しかし紙を媒体としたビジネスモデルが崩れつつある今、これまで述べてきたように、新聞社の収益が縮小し、従来の総合取材態勢もコスト削減のために見直しが必要となる。

 新聞の時代

 現在の新聞に掲載されている記事を見直すための指標は、一つは速報性と時間をかけた記録、解説、評価という時間軸であり(縦軸)、もう一つは取材対象の見直しという平面的な検証(横軸)になる。今回はこの前段を検討したい。

 国内で各新聞の発行が始まった明治から大正年代、新聞はその時々のニュースを伝える唯一の媒体だった。大正末からラジオが始まったが、その情報量で新聞の王座は揺るがず、一層巨大化した。新聞衰退論がささやかれだしたのは、戦後のテレビの普及からだった。

 しかし昭和の時代まで、テレビ各社のニュースの取材体制は新聞に大きく遅れ、NHKでさえせいぜい全国紙一紙のレベルに達するかどうかだった。
 新聞は編集、印刷、配送のため、速報性に限界がある。その為に大きな事件、事故などの速報性はラジオ、テレビに劣った。しかしその取材体制の厚さゆえ、ニュース媒体の首座を新聞が譲ることはなかった。

 今世紀に入ってのネットの普及は、新聞からその首座を奪いつつある。速報性、そして記録性もネット媒体は持つことができたためだ。音声、映像、テキスト。これまでのラジオ、テレビ、新聞の各媒体の強みのすべてをこなしえるのがネット媒体だ。
 ネットの特徴は、そのニュースの大半が、新聞とテレビから配信されたものであること。つまり新聞もテレビも、自らのコンテンツで読者、視聴者をネットに奪われ自分の首を絞めるという状況に落ち込んでいる。

 競合から共存、差別化へ

 この万能ツールを駆使するネットサイトに対抗するために、朝日新聞社や読売新聞社などは、当初ネットサイトへのニュース提供を拒んだ。それはテレビの創成期時代、自社の所属俳優のテレビ出演を拒否した映画社のようでもあった。
 07年、朝日、読売、日経はコンテンツ事業の共同化を発表、各紙の記事の読み比べるサイト「あらたにす」などを始めたが4年ほどで終了した。
 また共同通信と加盟各紙は、全国ネットの「47NEWS」を設け、加盟社のニュース配信を始めた。しかしこれも地方ネタに強いというコンテンツの強み、独自性を生かせず、地方版まで備えたヤフーなどの専門ネットサイトに大きく水をあけられている。

 このように各社のクローズド戦略は効果を挙げず、今や大半の新聞社が自社のコンテンツをネット専門のニュースサイトに提供している。記事の一部の掲載にとどめるケースもあるが、専門サイトにリンクして自社サイトに読者を呼び込むことが狙いで、共存路線に変わりはない。

 ネットサイトとの共存戦略をとった新聞は、その存続のためにネットニュースとの差別化を図らなければならない。それはネットに提供している自らのニュースとの差別化を求められるという皮肉でもあるが、ネットサイトにコンテンツを売るだけでは、新聞社の編集体制を維持する収益は確保できない。

 速報性の対象とする情報のコア、主要素は5W1Hになる。その要素は取材によって差異が生まれることが少ない。つまりどの社が取材しても大きな違いは出ない。
速報という同じネタの取材にコストをかけても、自社のニュースの差別化にならないとしたら、コスト削減のために外部委託をするという考えになる。
 通信社の利用だ。

 ただ速報を中心に取材編集を一部通信社へ委託するというモデルも、効果を上げるためには課題も多い。
 共同通信の多くの加盟社は地方の新聞社だ。そのため海外や首都圏に情報が集中する政治、経済、外交、そして一部の文化関係を通信社に委託する効果は大きい。
 しかし全国紙レベルには、やはり自社と通信社の取材がクロスし、現状ではその効果は少ない。
 09年に毎日新聞社は共同通信社と業務提携し、取材の相互補完を目指した。速報を共同に、毎日はさらに深い情報を、との目論みだったが、その紙面から見て、共同への取材委託により、毎日新聞の記事に大きな差別化、特徴が生まれたとはまだいいがたい。

速報そして現場

 速報から脱却することの難しさは、速報も解説や評論もいずれも現場を抜きには生まれないことだ。
 読者を納得させる解説をまとめるには、まずはそのニュースの現場の情報が欠かせない。担当記者からすれば、やはり現場も自分の視点で確認することが必要になる。
 現場とは固定的なものばかりではない。事件も政治も経済も、その時々の動きそのものが現場になる。その動きの中にいることが、より的確な新聞ならではの解説や論評を生む。
 そのような関係を肌で知っている記者にとっては、速報から離れろと言われれば、それは現場を離れろという指示に近く、戸惑いを覚えるのではないいか。つまり速報からの脱却は言葉ほど簡単ではないはずだ。
 共同通信社と提携した毎日新聞社の現場でも、その取材区分けと取材対応方法が難しいのかもしれない。取材現場から離れる記者の当惑が大きいのではないか。
通信社との連携を生かすには、速報から離れた記事の在り方という根本的な検討と、それに呼応した抜本的な取材体制の見直しが必要だろう。

 速報性を脱皮して、新聞はどのような取材対象を求めるのか、充実させるのか。難しい課題だが、次回は今テレビと出版、そして新聞紙面でも活躍している池上彰氏の解説、評論からそのヒントを探りたい。

この項続く 

新聞のブラックボックス その1

 新聞事業凋落の現況

 経営情報の公開をしない新聞社

 新聞の凋落はよく喧伝されるが、その実態を把握できる資料は予想外に少ない。別項でも書いたが新聞業界の経営などの実態情報は非公開が多いのだ。

 全国紙でも収支状況を公表しているのは日本経済新聞社で、朝日新聞社は連結ベースを、読売新聞はほとんど非公開だ。毎日、産経新聞も新聞社単体の情報が外部からはつかめない。
 地方紙も非公開が多く、それゆえに国内の新聞事業の趨勢を時々の数値をおさえて検証することができない。

 新聞事業にはいわゆる日刊新聞紙法(会社法の特別法「日刊新聞紙の発行を目的とする株式会社の株式の譲渡の制限等に関する法律」)が適用される。外部からの資本介入を防ぐため、株の譲渡制限をかけたものだが、そのために株主は長年固定化し、経営情報はその中だけで共有され、外部チェックが効かない。
 対外的に経営の情報公開を標榜する新聞社の矛盾であり、弱点だ。この非公開状況が新聞社の内包する危機状況への関心を薄め、抜本的な改革を遅らせる要因の一つになっている。

  読者数の実態さえわからない

 今年2018年初めに元朝日新聞社販売部長の畑尾一知氏が「新聞社崩壊」を出版した。新聞読者数という基本情報を示すのに彼が引用したのが、NHK放送文化研究所の「国民生活時間調査」だった。販売の専門部局にいる畑尾氏でさえ新聞市場の基礎数字、新聞購読者数が分からないのだ。

 自社の新聞の購読者はわかるが、他社の実情はつかめない。
 業界組織である日本新聞協会は加盟各社の発行部数と総世帯数を毎年記録しているが、それは各社が印刷したという発行部数であり、実際の購読部数より多く出ているのだ。
 ここでは詳説しないが、購読者のいない新聞の存在がある。
 新聞各社と新聞協会などが示す発行部数は、各社が印刷する部数だ。それを販売店に届ける「送り部数」がある。その中に新聞社が販売店に注文部数を超える引き取りを求めるいわゆる「押紙」がある。読者が存在しない部数だ。そして配達されないまま回収、廃棄される「残紙」になる。つまり押紙、残紙が発行部数を多くしているのだ。
 かつてはこの残紙が発行部数の数十%もあった。それは各新聞社が隠す暗部だ。この発行部数あるいは送り部数が、本紙広告と、販売店の収入になる折込広告の掲載、配達コスト計算の基数になるからだ。水増し部数による過剰な広告費の収奪としばしば批判されている。
 この残紙をめぐる訴訟が各地で起きている。しかし各社ともこの部数乖離を是正し始めているとはいえ、いまだに購読者数を開示しない。そのために販売の専門だった畑尾氏も読者の推定数をNHKの調査に頼っているのだ。

 それにより畑尾氏は2005年から同15年までの10年間に読者は1300万人、25%減って3700万人になったと推計している。そして以降10年、2025年の予測は、さらに1100万人30%減り2600万人になると指摘している。20年間で読者は半減するという予測だ。

 スマホなどの視聴媒体の急速な普及と、それによるニュース配信の増加で、新聞読者の減少率は年々高まっており、畑尾氏自らこの推定は「見通しとしては甘いかもしれない」と認めている。一部新聞社の経営破たんは2025年以前に来るのではないか。

 不動産での生き残れるか

 新聞の経営危機が取りざたされても、業界内では楽観論も多い。楽観論の一つの支えが、各社の不動産収益だ。

 全体的に縮小傾向にある新聞社のバランスシートで、安定した収益をあげ、今後も新聞経営の基盤を支えるといわれるものが不動産収入だ。
 全国紙も地方紙も、都心あるいは地域の一等地に本支社置く。そこに付随したテナントなど優良不動産を多く持ち、今も不動産投資を続けている社もある。新聞社の関連事業で、今や一番手堅い収益を望めるものがテナント料など不動産だ。

 確かに朝日新聞社や読売新聞社は、東京などの都心に多くのビルを持つ。日本経済新聞社も10年ほど前に31階建ての日経ビルを大手町に建設し、いずれも大きなテナント収入を得ている。あまり注目されないが、産経新聞社もその所属するフジサンケイグループのサンケイビルが総売り上げで1000憶円を超え(ビル事業は140億円余り)、120億円余りの営業利益といる実績をあげている。
 
 しかし東京銀座や大阪の中之島などに大型ビルなどを持ち、業界トップの不動産収入があるといわれる朝日新聞社でさえ、中期計画にある2020年の不動産売上目標が200億円、そのうちの30%の営業利益だ。
 大方の新聞社は不動産だけで現在の規模の経営を維持ずること難しく、不動産事業による新聞社の存続はありえない。
 新聞各社は今後の読者減少と広告の衰退で、今の取材体制が維持は厳しくなるはずだ。そして新聞事業の代わりの支えとなる事業を見いだした社は、まだない。

現場に薄い危機感

 ただこの業界で、経営危機が喫緊の課題として取り上げられているかというと、実情はその緊張感が現場に薄い。

 新聞社の危機、特に毎日新聞と産経新聞はそれこそ数十年前から潰れるとささやかれてきた。むろんこの間、1998年に廃刊した北海タイムズのように消えた新聞社もある。しかし10万部を超える中規模以上の新聞で、潰れた事例は北海タイムズ以外まだない。そのことが、経営指標でみればすでに破綻状況にある新聞社内でさえ、危機感が広まらない要因になっている。自分たちが茹でガエルであることに気づかないのだ。

 これまで新聞社の経営を逼迫させるものとして、部数と広告の急速な減少を挙げてきた。ただその双方において、まだ少し落ち着きがある新聞社もあるのだ。

 ブロック紙や地方紙のなかの中堅の各社は、地域の新聞読者の50%以上ものシェアを持つところも多く、それゆえ広告媒体としての有用性がまだ残っている。また地域情報においては、全国紙が支局など取材拠点を縮小、簡素化しており、逆に地方紙にその報道を担う役割が高まっている。

 経営状況を公開していない新聞社が多いため、ブロック紙、地方紙もその経営状況を俯瞰した資料がなかなか見当たらない。

 その中で先ほどの畑尾氏が、10万部以上の43社について社員一人当たりの売上、自己資本比率、そして独自の指標の「残紙率」のそれぞれを検証し、経営評価をしている。残紙率に少し馴染みがないが、これにより販売店がカネにならない部数をどれだけ抱えているかがわかり、販売店経営ひいては新聞社の経営力を表す指標になるという。
 この3指標でみると、弱体といわれる毎日、産経のレベル以下の地方紙は3社しかない。大半がまずは規模に応じた経営力、店舗力を残しているのだ。

 これらから見ると、新聞業界はまだ少し生き残りを模索する時間が残されているのかもしれない。別稿でも書いてきたが、編集から印刷、配送までの一気通貫のビジネスモデルのしぶとさだ。そして情報という生活に欠かせない「米」を扱っている以上、何らかの生き残り策があるはずだ。

この項 続く