新聞経営が見落としたもの その3 了

ヤフーになぜ負けたのか
新聞社系ニュースサイトの敗因

 新聞事業の衰退を決定的にしたのは、ネットによるニュース配信の普及だった

 数年前から東京の地下鉄で新聞を読む姿はほとんど見かけなくなった。通勤時間帯は乗客全員がといっていいほど、スマートフォンと携帯、あるいはタブレットに見入っている。その多くが見ているのは、ヤフーなどの報道機関以外のニュースサイトだ。
 新聞社など報道機関もそれぞれが独自のニュースサイトを持ってはいる。しかしネットニュースの利用が本格化して以来、国内のニュースの閲読率、ページビュー(PV)の大半を占めるのがヤフーはじめIT、ネット系企業のものだ。ここ5年ほどの間に、アプリケーションを配信して読者を獲得するスマートニュースやニュースピックスなど、新しいネットニュースも加わった。その中でヤフーで日々の出来事をチェックする人は報道系サイトの数十倍にのぼり、今や新聞以上の影響力を持っている。

 新聞やテレビ、あるいは雑誌をベースにした報道系ニュースサイトと異なり、ヤフーなどポータルサイト系は、大半が報道機関からの提供情報で、ほとんど独自の取材、編集はしない。
 それに比べ報道系は、自ら取材、編集してネット配信もできる。その要員もシステムも、そしてブランド力も資金力もあった新聞社は、なぜネットニュースでここまで遅れをとってしまったのか。

 もう十数年も前の話だが、当方が新聞社のメディアセクションに赴任した際、当時六本木ヒルズ森タワーにあったヤフー本社に挨拶に伺った。すると井上雅博社長や後任社長となる宮坂学さんら幹部が総出で応対してくださった。その後もヤフーには様々な支援をいただいたが、その手厚い応対をなぜ受けられるのか。自社メディア局の古手社員に尋ねことがある。

 彼の説明はこうだった。
 ヤフーは1996年日本橋箱崎町のビルの3階で創業した。わずかな社員でコンテンツ集めに苦労している頃、新聞社が初めてニュースをヤフーに納入した。「新聞社との取引が信用を生んだ、という経験を幹部の皆さんは覚えている。それへの感謝もあって今も厚遇してくれるのだと思います」。真偽をヤフーに確認したわけではないが、一貫してヤフーは、私たちだけに限らず、既存報道機関との競争を避け、その収益基盤とブランド力を大きく成長させた。

 ヤフーは16年秋にそれまでの六本木の東京ミッドタウンから永田町に近い東京ガーデンテラス紀尾井町に移転した。36階建てでオフィス26フロアーのうち20フロアー使っておりYahoo!ビルと言ってもいい。今や収益は年間9000億円近く、6300人を超す従業員の大企業に成長した。
 その間、新聞社系のサイトの収益は良くて数十億円レベルでの微増、ないし横ばいでしかない。
 そのヤフーの入る高層ビルを見上げながら、なぜここまで差がついたのか、疑問は膨らんだ。

遠流の島 

 なぜ新聞社はヤフーに後れをとったのか。
 1世紀前後もの歴史の中で築き上げたブランンドを持ち、取材編集スタッフと設備、システム、資金力、どれ一つとってもヤフーに負けないはずの新聞社が、どうして負けたのか。

 ヤフーが箱崎の狭いビルの一角で発足してから20年余りしかたっていない。我々のようの新聞業界にいた者からすると、宮坂前社長の言う「爆速」に近い成長だ。そして新聞社はその当初からニュースを提供し、その成長過程を一部始終見ていたはずである。その目指す市場の可能性に新聞社は気づいていたのか、無視したのか。

 新聞社の中には、ヤフーの創立の1年前に自社のホームページを立ち上げていた社もある。ヤフーの開業当時、もうすでにネットを使ったニュース、情報の配信サービスも実現していた。当時、新聞社が持っているIT系のソフト、ハードの技術力、ノウハウは、ヤフー以上であったはずだ。そしてニュース配信におけるネットの将来性に気づき、それを説くものも少数ながら居た。
 その気づきがなぜ新聞社の中でメジャーになりえなかったのか。本格的なネット展開に発展しなかったのか。

 そこには新聞社の中でのデジタルウェブ情報・ネットを扱うメディアセクションの存在感、立ち位置が絡んでいる。

  10数年前、当方がメディアセクションに赴任したその日、歓迎会でメディアの営業幹部から言われた言葉がある。

「あまり張り切りすぎないように。ここは社内で一番離れた遠流の島なんですわ。改革だなどと騒いだところで本社の中枢には届きはしないのだから」。

 多かれ少なかれ、どの社にも花形のセクションと日陰の部門がある。新聞社で言えば、編集の取材部門が花形で、整理部そして調査セクション、さらに営業となっていく。あるいは出版、事業などを加え、編集局からそれぞれへの異動を、「島流し」ととらえる輩もいた。 

 新聞社の中で出版局はまた異質の存在で、「別の島」になっていた。出版セクションはどの社内においても大方が万年赤字経営で、存在感が薄かった。
 給与は本社ベースでいながら、企画で組織の存続が左右されるような一般出版社のような緊張感がなかった。その放漫経営を見直すため今ではほとんどが別会社組織にしているが、以前はそこへの赴任を「島流し」とみる人間も多かった。

「一番遠い」とはその出版局よりさらに離れて一層存在感がない、という意味だった。確かにメディアセクションには「遠流の島」の空気があった。

 メディア部局は万年赤字であった。売上が年間数十億円前後のセクションで毎年数億円もの赤字を続ければ、現場の収支、金銭感覚はおかしくなる。ちょっとやそっとの経費を削っても焼け石に水。節約という言葉が使われない。

 例えば契約社員も加えれば200人近い従業員で、部長級以上が1割を超える。要はライン部門で幹部に慣れない人間たちの処遇のポストが遠流の島で用意され、給与のみ部長、副部長級など高給部員があふれていた。
 なんの仕事をしているか仲間でさえわからないスタッフがいた。机に着いているのを誰も見かけたことがない部員もいた。
 人だけでなく、パソコン等の部品管理もできていない。書き出せば切りがないが、ある意味おおらかな自由な組織だった。これが当方の経験だが、当時の新聞社のメディアセクションというのは大体似通ったものではなかったか。

 そのゆるみの中で、目の前のネット市場の可能性を声高に説いても、なかなか改革につながる可能性は薄い。たまに先進的な試みをしても、評価されそれを事業拡大まで持ち込む体制ができなかった。

 非主流のメディア技術

 ネットのニュース配信に欠かせないのはネット系のIT技術だ。この技術スタッフがまた育ちにくく、外部から採用することもほとんどなかった。

 新聞社は以前紹介したように製造業でもある。何トンもの大型高速輪転機に始まり、新聞の配送システム、記事の集配信システム、取材のための通信システムなど多様な生産設備が必要だった。

 各社は昭和30年代からの鉛活字を廃止し、電算写植の採用、ファクシミリによる紙面伝送、さらには制作過程全般へのコンピュータ導入と、時代の最先端を行く技術を蓄積していた。その大半が数十億、数百億円の設備投資で、三菱重工やIBM、富士通、キャノンといった大手メーカーと提携しながら、いつも先端技術の開発、導入を続けた。大きなスケールと先進性。その中でノウハウを学び、体験した技術集団は、高いプライドを持っていた。

 それゆえに、本体の印刷、制作部門からメディアセクションに出される技術スタッフにもまた島流しという負い目を感じる者が多かったと思う。

 編集、営業、技術とそれぞれの部門で、メディア事業の黎明期に今のネット時代を予想し、大きな夢、事業構図を描いて市場開拓を目指す、そのような意気込みが不足していた。ここに疑問に答える一つの敗因がある。

 販売店への遠慮

 もう一つの出遅れ、敗因は新聞販売への気遣いだ。

 先ほど記したように新聞記事のデジタル配信は、ヤフーの創立時にはすでに実施に入っていた。その配信にあたって、価格設定が全社レベルで本格的に検討されたという記録はみあたらない。配信そのものが実験レベルに毛の生えたようなもので、また課金の方法も当時は見当たらなかった。

 記事をタダで配信したら新聞が売れなくなる。そんな声が出始めたのは2000年以降ではなかったろうか。ヤフーのほかにニフティ、ライブドアなどそしてグーグルニュースなどが国内でも始まり、ネットニュースの存在が新聞社内でも知られ始めた時期だった。

 記事の全文を出すな。特ダネを出すな、掲載時間を遅らせろ。販売セクション、そして経営サイドから、メディア事業部に時々に色々な牽制が入っていた。
 本社が恐れたのは、販売店の反発だ。部数を拡張するために必死に顧客を回っていても、後ろからタダの新聞情報を配られたら売り込みができない。おおむねこんな苦情が出始めていた。そして駅やコンビニでの即売が、じわじわ減り始めてもいた。

説明されない電子新聞代

 新聞の印刷、配送、配達というコストがかからないとすれば、新聞のニュース、情報コンテンツは大幅に下がるはずである。長年業界の経営情報に接してきたが、新聞代から見たコスト分析というものを目にしたことがない。読者が払う新聞代のうち、取材編集費がいくらで、その配送コスト、会社維持の固定費など、具体的な経費分析には無頓着な業界だった。
 ゆえにデジタル、ネット新聞という新商品に対し、合理的な値付けができなかった、ともいえる。

 今の各社のネット新聞は紙の新聞をベースにして、それから「心持ち安くした」価格になっている。月4000円前後の紙の新聞の購読料に対し200円前後下げがたものがネット新聞代だ。では4000円の新聞代のうち、紙代と配送費は200円ほどしかかかっていないのか。「心持ち」の根拠が説明されたことはない。

 そのような、あり得ない不合理な価格設定が今もまかり通っている。

無料配信の失敗

 先に記したように、朝日や毎日などの大手新聞は、1996年のヤフーの創業前からニュースのネット配信を始めていた。その当初は試行レベルでもあり、どこも無料で配信した。もともと紙で使った後の情報であり、それに広告でも入れば、というような受けとめ方だったのだろう。新聞社は無料で配信を始めたことで、あとあと自らの収益性を大きく損なうことになる。

 複数社のニュースを素早く見せるポータル系のニュースサイトは、新聞社の単独サイトより情報が多いなど利便性が高く、急成長した。しかもそこで扱うニュースは、格安の価格で各報道機関から調達できた。新聞社は当初無料で配信しており、その後も合理的な価格の要求、値上げもできない状況が続いた。

 当初、朝日や読売はポータル系などへのニュース提供をしなかった。自社サイトの差別化と安価なコンテンツ提供を拒んだわけだが、最終的にはヤフーを筆頭とするIT系サイトの集客力を無視するわけには行かなかった。配信拒否だった報道機関も、今やほとんどがヤフーにコンテンツを販売している。このコンテンツ料金は公表されていないが、いずれも制作コストからは遠く乖離した低料金のはずである。

 その料金でも、提供側にすればリンクを通して自社のサイトに読者に来てもらい、PVを引き上げるというメリットもある。PVが上がれば、広告収入も増える。そしてヤフーのトップページのニュース枠などに扱われれば、自社の数十倍のもの情報拡散をしてもらえる宣伝効果もあるのだ。

ネット特性の抑制

 もう一つのネット新聞への歯止めとして、記事の配信時間を調整があった。
かつて新聞社のネット情報は、紙の編集の締め切りに合わせて配信されていた。あくまでも紙の締め切り、印刷、配達時間が主体であり、特ダネも事件も紙よりも先にネットの読者に届けるわけには行かなかった。
 

 そんな中で、ネットの特性を生かし、いつでも最新のニュースを配信するという、WEBファーストという動きが米国から始まった。2007年ごろ国内で初めてウェブファーストを掲げたのは産経新聞だった。販売部数が少なく、販売店も力がないのでできること。業界ではそんな冷ややかな受け止め方が大半だった。
 
 ここにも新聞社のネットに対する基本戦略の誤りがあった。ネットの特性を生かさず、価格設定もおろそかにし、あくまで紙の新聞しか眼中にない。これがヤフーなどに後れを取ったもう一つの敗因だった。

 ヤフーは今300社余り450の媒体からニュースなどのコンテンツ提供を受け、選択した情報を24時間無料で速報している。年間のPVは1500億と、各新聞サイトの数十倍もの読者を持っている。速報性、多様性、無料。ネットの特性をフル活用したネット専門媒体と既存の報道機関のニュースサイトの競合はすでに勝負が見えているのだ。
 
 以上、ヤフーへの敗因は、新聞社の内部体制と紙の新聞への遠慮だとみてきた。要は紙の新聞へのこだわり、妄執を取り除けなかったのだ。

 従来の新聞社は、紙を媒体にニュースや広告を展開し、その生産、流通を一気通貫で把握することで高収益を得ていた。いわば「紙のポータルサイト」での成功だった。

 もし新聞社が、自らの存在、事業ドメインを「紙」から脱却した「情報のポータルサイト」と見直していたら、ネットにも即座に対応し21世紀も情報の主役、王者でいられたはずだ。

この項 了