調査報道とフェイクニュース その4 了

 顔を見ない記者たち

 調査報道に多大なコストがかかることは前回までに示した。そして次に調査報道にあたる記者の適性についても少し紹介した。この記者の資質について補足したいのは、昨今の記者の取材スタイルである。

 テレビなどで観る記者会見の光景を思い起こしてほしい。
 昨今の政治家、官僚、企業幹部の記者会見では、ほとんどの記者が必死にノートパソコンのキーボードを叩いている。ぶら下がり取材という対象者との立ったままの取材でも、記者はスマホやICコーダーを相手に向けている。

 昔の記者もたまに録音機を使ったが、いつもは先輩記者から録音器具を使うな、メモばかり取るなと叱られた。
 録音機を向ければ、相手はホンネを話しづらくなる。もっと大事なことは、録音やメモに頼ると、話す相手の表情を読み取ることがおろそかになる。 人間を見る目が育たない。例え相手がNOといっても、その言葉遣い、表情からYESと読み取ることができなければならない。YESとNOの間、デジタルで言えば0と1で判定できない、割り切れない隙。そこに人の真意を読み取って取材の確証を掴んでいく。この取材能力の大切さが、かつては先輩から後輩に受け継がれていた。

 現代の記者にはネットの検索能力も大切なのだろう。また情報公開法の利用技術も欠かせない。しかしそのようなシステム的に集められた情報の信頼性を裏付ける最後の手段は、やはり関係者の証言、リークであり、その正否を見抜く取材記者の能力なのだと思う。調査報道には、この取材力が欠かせない。

 保秘の壁を張り巡らす相手でも、真意を見抜きその懐に入っていく。そんな記者を育てるシステム的な方法はなかなか作りえない。やはり記者は現場で事件に揉まれ、多様な取材対象、人々に取材しながら教えられるしかない。各紙のかつての著名記者は、やはり優秀な先輩、ライバルを持ち、厳しい事件に遭遇し、その中で育ったといっていい。限られたセクションで有力な記者が輩出する時期がどこの社にもあったはずだ。

現場、事件が記者を育てる

 事件とライバルが記者を育てる。一つ事例を挙げておきたい。
 昨年17年11月に亡くなった原寿雄氏と斎藤茂男氏(1928~1999)、ともに共同通信の記者だった2人の歩みだ。
 1952年大分県直入郡菅生村の駐在所を共産党員が爆破したとされた菅生事件が起きた。しかし真犯人は現職警察官ではないかとの疑惑が沸いた。逃亡して東京都内に潜むその警察官の居所を、二人は突き止めて本人取材し、犯行を裏付けることに成功した。このスクープは二人の連携取材の成果であり、その後の調査取材の原点とも称される。
 
 以降、原氏は報道の自由の大切さを訴え、発表ジャーナリズムの危険性を指摘し続けた。また斎藤氏は戦後日本の家族や教育現場の崩壊を数々のルポルタージュで残し、圧巻の取材力を発揮した。共同で取材した二人は、その後はある意味ライバルとしてそれぞれに大きな働きを残した。 
 

 最近は原氏に比べ、斎藤氏の評価が少ないと思い、蛇足だが一つのエピソードを紹介したい。

記者嫌い?寂聴さんが誉めた記者

  斎藤氏はかつての再審無罪事件、徳島ラジオ商殺害事件(1985年再審無罪判決)でも大きな役割を果たしている。それを教えてくれたのは瀬戸内寂聴さんだ。
 瀬戸内さんは、ラジオ商の夫を殺害したとの冤罪を受けた冨士茂子さんの支援を続けていた。徳島地裁での再審裁判の判決が迫った当時、瀬戸内さんに判決評価を書いていただくよう、前もって京都の寂庵にお願いに行ったことがある。
 挨拶でいきなり「私は記者ってあまり好きじゃないのよ」と言われ怯んだ。しかしすぐ笑顔で「でもその見方を変えたのが斎藤さんよ」と話してくれた。

 徳島ラジオ商殺害事件は1953年に発生した電気店店主の殺害事件で、内縁の妻、冨士茂子さんが実行犯として13年の懲役判決を受けた。有罪の根拠となった店員の目撃の偽証を訴えたのは茂子さんの姉弟などだが、当時のマスコミは注目しなかった。弟は東京の司法記者クラブまで出向いて無実を訴えた。大半の記者が関心を見せなかったが、その中で唯一本格的に取材を始めたのが斎藤氏だった、と瀬戸内さんが教えてくれた。
 
 東京から徳島まで斎藤記者は何度も通ったという。
 私も教育現場取材で斎藤記者と出会い、そのブルドーザーのような取材力に圧倒された経験があった。しかし連日大事件の判決、訴訟が続く東京の司法担当で、その多忙の合間を縫って四国まで調査に幾度も出向く。そこまで粘り強い取材を続けていた斎藤さんの姿に、また教えられた。

 その斎藤さんにある会合で出会ったときの言葉がある。齊藤さんは菅生事件で原さんと組めたことが大きな励みになったと振り返りながら、「記者は事件で育てられるのだ」との言葉を残した。

 共同通信は、数々の優秀な記者、作家を生み出している。そこに原と斎藤、二人の足跡が大きな影響を与えていると思うのは当方だけではないはずだ。

 魑魅魍魎のような人間が絡みあう事件の事実を解きほどいていく。それが記者を育てる。人に会い、ぶつかり、保秘の壁を乗り越え、信頼関係さえも生む。調査報道はその人間的取材力を求め、育てていく。

 安倍内閣は第二次内閣発足以来5年を超え、昭和の時代以降、佐藤、吉田に次ぐ長期政権になった。評価は別にして、株価は上昇し、対外政策でも一定の実績を挙げつつある。それゆえに、今回の森友・加計学園問題につき、マスコミが騒ぎすぎる、という批判もある。

 確かに国有地売却、獣医学大学建設の事業は国政レベルから言えば、些末かもしれない。しかし仮に些末だとしても、そこに安倍首相の意向、あるいは指示があり、行政のルールが破られたとしたら、そのこと自体が公正な行政の崩壊になる。そしてその隠ぺいは、国会の存続を危うくする。総理の指示、意向を隠すものがまさにフェイクニュースであり、その意味で今回はフェイクニュースと調査報道の勝負ともいえる。

 今回の森友・加計学園問題の報道を機会に、フェイクニュース論議より、インパクトのある調査報道に関心が集まり、広まることを期待したい。難しい取材対象に果敢に踏み込み、丁寧かつ厳密な事実確認をしたうえでの報道の持つ力、重要性を多くの人が気づけば、フェイクニュースなど隅に追いやられていくはずだ

 今回は、報道機関における調査報道につき思いつくことを書き記したが、調査報道は組織に属さないとできないものではない。内閣総理大臣田中角栄を失墜させた立花隆にはじまり、政府、官庁、大企業、警察、検察などの不祥事を暴いたフリーのジャーナリストも多い。

 またネットの普及とともに、傍聴、監視など権力による市民の権利侵害が増えた。それに対抗するかのようにビッグデータなどネット情報を使った調査報道など、新しい潮流もある。

 話しがあちこちに飛んだが、今回の朝日新聞のスクープを機会に、ぜひ若い人々に調査報道の重要性を見直してほしい。そしてその取材の大切さを知ると同時に、挑戦するに値するエキサイティングでかつ意義のある仕事であることを知ってほしい。

 冒頭に調査報道には金がかかると書いたが、その構造をどう改革できるか。調査報道に関わる記者をどう増やし、育てるか。この面でも今後考えをまとめてみたいが、みなさんの提案、指導がいただければ幸いだ。

この項 了

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