調査報道とフェイクニュース その2

 ハングリースポーツ

   調査報道の実現に欠かせないカネの話をその1で紹介してきた。しかし取材経費より重要な前提条件は、やはり担当記者の取材力、編集力だ。

 調査報道担当には、事件・司法記者あがりが多い。
 かつて朝日新聞社の警視庁など事件持ち場は、「外様記者」で支えられていると言われたことがある。大方の競合他社はどの持ち場でも朝日より記者数が少なく、それゆえ仕事が多く、給料も数十パーセント低い賃金で耐えていた。
 朝日はその競合他社の記者を引き抜いて、事件記者を陣立てしていると言われた。産経や毎日、そのほか地方紙の有能記者がスカウトされた。前回紹介したリクルート事件をスクープした横浜支局次長の山本記者も、北海道新聞からの引き抜きだった。警視庁や検察庁になど、厳しい取材競争を強いられる現場の朝日記者は、他社からの転向組が多かった。

 警察や検察庁の取材現場は、常に事件を抱え、その捜査経過を取材しながら朝刊、夕刊と特ダネの抜き合いをする。負けが重なり、ストレスで身体に変調を来す者もある。私が現場にいたころ、検察担当になって十日余りで胃潰瘍になり出血、職場替えになった仲間もいた。

 体はもったとしても、数か月あるいは半年も他社に特ダネを抜かれまくれば他の取材セクションか地方支局に飛ばされる。

 この“ハングリースポーツ”ともいえる取材合戦の中で、あらゆる手段を使って取材相手に食い込み、取ったネタの重要性、信頼性を値踏みし、できる限りの裏付けをして記事にまとめる。対象への粘り強いアプローチで取材の壁を越えることを体得した調査報道向けの事件記者が、こうして育っていた時代だったと思う。そして安い給料、少ない人員など劣悪な環境で育った記者ほど、ハードな取材戦に生きのこるすべを養ったともいえる。それが先ほどの外様記者を生む土壌だった。

 また映画の話に戻る。

 前回紹介したペンタゴン・ペーパーズが公開される一か月ほど前、別の映画「ザ・シークレットマン」が封切られた。監督は自ら報道記者、従軍記者を経験したピーター・ランデズマンだ。

 この作品は「ペンタゴン・ペーパーズ」の最後のシーンに描かれていたウォーターゲート事件が舞台だ。この事件の調査報道の主要メンバーの一人、ワシントンポストの記者ボブ・ウッドワードらに極秘情報を与えていた内部情報漏えい者、この事件で名づけられたディープ・スロートを主役にしたものだ。つまり1976年制作で大ヒットしたアカデミー賞受賞映画「大統領の陰謀」を、密告者側から捉えたウォーターゲート事件が映画化されている。

 この映画は、調査報道のもう一つの大切な要素を教えてくれる。

 調査報道とは、別な視点からすれば内部通報者、告発者の支援を受けた報道ともいえる。後ほどもう一度触れるが、忘れてならないのは輝かしいペンタゴン・ペーパーズやウォーターゲート報道も、内部情報提供者、漏えい者、いわゆる「ディープ・スロート」という匿名の協力者がいて初めて実現したものだと言うことだ。
それに記者の取材力が対応できたとき、スクープは生まれる。

 ウォーターゲート事件のディープ・スロートは誰か。
 1972年6月の事件発生から33年後の2005年5月、その主が名乗り出た。事件発生からニクソンの辞任まで米国の連邦捜査局(FBI)のNO2副長官だったマーク・フェルトだった。彼は、FBIの創設以来の長官で秘密情報によって歴代の大統領さえ操ったといわれるジョン・エドガー・フーバーに長年仕えた。
 謹厳実直かつ敏腕な官吏だったフェルトが、なぜFBIの捜査記録という最高機密をワシントンポストのウッドワードに漏らしたのか。FBIのウォーターゲート事件捜査への大統領府の妨害や、自身の長官昇進の見送りなど、フェルト側の動機を映画でたどることができる。ただ、この映画でも判明しないのが、そのような信頼関係をウッドワードがどう築いたかだ。

 人間懐柔力

 フェルトとウッドワードの出会いは、ウォーターゲート事件の3年ほど前に遡る。
 1969年から70年,ウッドワードは海軍大尉で国務省勤務だった。重要書類を運ぶ伝書使いとしてホワイトハウスにも出入りした。ある日国家安全保障会議幹部も執務室の待合で、彼は「人の上に立つ人間」と観た男の横に座る。その同席しただけの短い時間のうちに、ウッドワードは自己紹介から、今後の自分の進路についてまでその男に相談をする。その男が「秘密の世界の中枢にいる」と読み取り、「興味津々でよだれを流さんばかりに身を乗り出して話した」とウッドワード自身が書き記している。その男がフェルトだった。

 そして以後、ウッドワードはフェルトにしばしば電話をし、会い、やがてはフェルトの自宅にまで押し掛けるようになる。その後新聞記者になりたての時代も、フェルトにアドバイスを求めているのだ。

 一度の出会いで、相手が役立つと思ったら、逃さず食い込み、太い情報パイプを作ってしまう。ウッドワードの天性の才能のようなこの人間懐柔力に驚く。

 この出会いも含め、ウッドワードとフェルトのやり取りは、最高レベルの機密を取材する難しさ、厳しさを教えてくれる。特にウォーターゲート事件の展開中は、ニクソン大統領府やCIAなどの監視と追及、妨害工作で、取材は幾度も頓挫しかける。そのリスキーな環境下で、極めて周到な連絡を続ける緊迫した二人の姿は、ウッドワードがまとめた「ディープ・スロート 大統領を葬った男」(文藝春秋刊)にビビッドに記録されている。そして先の出会いも含め、ウッドワードが若くして人の洞察力に秀で、また相手にも信頼される誠実な人間であったこともわかる。
 先の著作の中には、ウッドワードの相方のカール・バーンスタインも登場するが、地方検事や政府関係者などから秘密情報をつかんでくるその取材力も素晴らしい。

 ここで記者の適性について考えてみたい。
 調査報道の大方の取材対象は、政府や官庁、大企業などのブラックな機密事項だ。権力や財力が、その周囲に取材を許さない極めて厚い保秘の壁を築いている。踏み込んで調査しなければ、決して公にされないネタが対象だ。なんの調査特権も持たない記者は、そこに自分の意志、気力、体力だけで切り込まなければならない。

 調査報道の記者は大抵は最初取材相手に嫌われる、拒否される。その壁には気力や体力だけでは通用しないことも多い。
 経験から言えば、最初は嫌われようと最後には相手に受け入れられ、信頼される、そこにまで持ち込む力、こなれていない言葉だが「人間力」が欠かせないのだ。人間力とはいささかあいまいな表現だが、記者の性格、姿勢、そのうえで築かれる対話能力、そんな総合力をここでは意味している。IQとは違う、EQ(情動の知能指数)の要素が重きを置く適性だ。

 取材先にひと月近く毎晩のように記者を行かせても、何の情報も取れない相手がいた。それが担当記者を変えた途端、2度目の取材で核心のネタを確認できたことがある。先に通っていたのはいわゆる事件に強い記者であり、後詰は科学部からの異動組だった。調査報道の記者は事件畑育ちだけでは限界がある、と教えられた。

 このように難しい対象の取材に、記者の誰もが対応できるわけではない。これも経験則だが、記者が10人にて、先ほどの壁をなんとか乗り越えられる記者は1人か2人。もっと少ないかもしれない。断っておくが、調査報道にあたる記者が優れ、他が劣っているというのではない。適性の有無をいうのだ。調査報道だけでなく、新聞にはほかにも多様な適性を必要とする部門がいくらでもある。

 この項続く

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