自立した老いとは 恩師の書簡より       その2

 ここから元小学校長加藤盛夫さんがその元小学校教諭 原田雅司さんに
宛てた書簡を順次紹介します。

 まず加藤さんの90歳の時の手紙です。視力や脚力が衰え、趣味を生かした
暮らしができなくなった時、どう対応すべきか。その生き方示されます。

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平成13年(2001年)3月18日 加藤盛夫先生90歳

 老人の誤算 こんな筈ではなかったのに

 本も若い頃から好きであったし、脚はわりに丈夫だったので散歩はとても楽しみにしていました。そのため自分は年をとって独り暮らしになっても、好きな本を読んだり、草木や石ころや小動物たちに接することのできる楽しみがあるから、退屈な老人生活をするようなことは無いと、たかをくくっていました。

 ところが90歳近くなって急に歩く力が無くなり散歩どころか。「歩く」ことがすごく重労働に思われるようになりました。以前は歩くことなど殆ど無意識に出来ることで、歩き乍(なが)ら植物や昆虫の観察をしたり、歩き乍ら下手な短歌や俳句も手紙に書き溜めて楽しんでいたりしたのですが、歩くことが重労働と感ぜられるようになると、歩くだけで精いっぱいで、歩き乍ら考えたり、観察したりすることなど全くできなくなり、散歩が苦しいだけで少しも楽しいもので無くなりました。

 視力がひどく弱くなって本を読むことも苦痛になり、少し読書をしても直に疲れてしまう始末です。

 そんなことで、散歩と読書の楽しみがあるから老後も大丈夫と思っていた自分の考えが大誤算であったことを、しみじみ思い知らされています。

 散歩や読書が出来なくなると同時に、ものを考えたり、何かに感動することも極端に少なくなりました。好奇心や野次馬根性がすっかり衰えました。その上集中力の持続時間が極端に短くなりました。 
 身体の力も、五感の反応も精神力も一度に弱くなった感じです。

 高齢者生活といってもあるところで大きな段差が付くことを自覚しました。
 高齢者生活にも「前期」と「後期」が有るように思われます。

 ゆっくりと趣味を生かし、積極的に人生を生きようと思えるうちは「高齢前期」だったと思うようになりました。
 前期、後期の分かれ目は年齢ではなく、個人差の多いもののようです。私の場合は八十八歳から八十九歳がその時だったようにお思われます。
 高齢者問題が深刻になって来るのはどうもこの後期(私が勝手に考えたものですが)のような気がします。

 歩行の困難、視力、聴力、思考力衰弱になった高齢者は老人病院や福祉施設に行くよりないのでしょうか。

 まだ何とか救う道が有るような気もするのですが、具体的な方策が思い当たりません。幸か不幸か自分がその段階に入ったようなのでいろいろ考えてみたいと思っています。ご教示ください。(疲れたので今日はこれまで)

 

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