自立した老いとは 恩師の書簡より      その4

 平成17年(05年)3月18日
(加藤盛夫さんから原田雅司さんへの手紙)

 私が老人のための施設を利用しないわけ

 老人福祉への社会の関心が増え、行動不自由な老人のために老人病院や老人福祉施設、デーケア施設、ショートスティなど、介護福祉の施設がいっぱい出来てきました。
 私も満94歳を超え、独居生活をしていますので「丈夫でいいですね」「介護施設を利用したら」「介護援助を受けたら・・・」といろいろな親切な勧めをいただきます。なかには「もう死ぬんだから金を残しても仕方ないでしょう。もっと金を使って楽をしたら」とまで言われることもあります。
 私も90歳台に入ってから急速に体力が衰え、諸感覚がにぶくなり、日常生活を自分の力で続けるのがひどく苦痛に感ずることが多くなりました。一番不便なのは下半身の衰弱で、歩行どころか5分と立っていることも苦痛です。加えて視力が弱くなり、それが一層行動を不自由にします。読書も草花の世話も困難になり、趣味生活がどんどん奪われています。

 それでも私が独居生活に執着しているのは、生きていることの自覚と喜びを持ち続けたいからです。床の上にぺたりと座って、少しずつ雑巾かけをするのも、何度も失敗をしながらやっと布団を干すのも、今日はこれをしようという目的があり、そのちょっとした仕事ができたときに、目的達成の喜びがあるからです。それがいま精一杯の生甲斐なのです。

 考えてみると起床から就寝までリハビリの連続です。つまずいたり、失敗したり、ひどく危ない要素のあるリハビリですが、温かい介護を受けながら安全に続けるリハビリとはまた別の自己目的があり、自己達成の喜びがあり、苦労はあってもそれに勝る生甲斐の実感があります。

 車椅子に頼ったり、こんな苦しい歩行をしなくてもいいのにと思ったり、掃除や買い物は介護を依頼して休んでいれば楽なのに、と思ったりもします。
 苦しいからといって助けを受けて何もしなければ、まちがいなく自分の体力、能力は低下していくでしょう。歳をとるとその衰弱速度がとても速くなります。

 楽をすることは目に見えない自殺行為だと思っています。
 何とか頑張って働くことが体力や健康の維持に役立つと思えば、医者も薬も無いけれど、こんな生活も一夜の病院暮らし、自己介護生活だと思えます。とにかく、どんな小さなことでも自分で目的を持ち、それが出来た時の喜びを感ずることは、病院生活、介護生活とは別の生きる力の維持につながると思っています。
 

 ここまで書いたらもう疲れました。
 書きたいことはいっぱいありますが、一寸と一服です。何とか少しでも考える力が残っているうちに、老人の生きざまを少しでも書いてみたいと思っています。
 
 春の彼岸に入った日             盛夫
 
 原田雅司 雅兄

 (下記は 加藤さんの葉書より)

 

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