自立した老いとは 恩師の書簡から      その10

 今回はこの書簡のやり取りをされていたお二人を紹介します。

 加藤盛夫さんは明治44年(1911年)のお生まれです。
 ご家族の話では、関東奥多摩のお寺の住職の息子で、愛知県の尾張旭に引っ越して来られたといいます。この間の事情は分かりませんが、家が貧しく旧制中学へ上がれなかったと、ご家族は加藤さんからお聞きになっているようです。
 加藤少年の学校の担任が、ここで終わったのでは惜しいと話をされ、周りの支援もあったのでしょう、官費の愛知第一師範学校に入学、教師になられたようです。「苦労した少年時代、若い時のことはあまり語らなかった」とご子息は述べておられます。
 教師としては名古屋市の東築地小、米野小等を経て、上野小校長から最後が豊国中学校長を歴任し、退職後は教え子の経営している建設会社で顧問格として働いておられました。平成21年(‘09年)8月に99歳で逝去されました。

 原田雅司さんは昭和10年(1935年)の愛知県生まれ。昭和33年(1958年)名古屋大学教育学部卒業、小中学校の教員経験をされ、愛知県の民生部に移られました。
 児童、障害者の福祉現場で指導され、愛知県庁の児童・障害者福祉の課長、高齢化対策室長などを歴任されました。
 その後岡崎女子短期大学の副学長を務められ、岡崎市の社会福祉審議会などで活躍されました。主に高齢者、障害児・者の福祉についての専門家として活動をされています。
 
 お二人の出会いは、原田さんが上野小学校に赴任された昭和34年です。加藤さんは同校の校長でした。新任教員の原田さんは大学卒業直後で、2年間加藤校長の指導を受けておられます。
 本人も実にいろいろな試みをされていました。自筆のガリ版刷りの学級通信を児童とその親に届けられ、きめ細かな対話を実践されていました。お世話になった児童の一人として多くの思い出がありますが、このシリーズ第1回のブログで紹介した、「子供たちと同じ目線で」接していただいたエピソードを一つ紹介します。
 
 ある日の授業後、先生は「みんなに話があります」と全員を残しました。「先生は結婚します。そしてしばらく新婚旅行にでます」。そして先生は、相手の女性との出会い、その人が自分にとってどんな存在で、なぜ結婚をすることにしたのか、を丁寧に説明されました。
 小学6年生の私たちに、先生の言葉の意味が十分分かったとは申しません。しかし先生が、いかに真剣に相手の女性を考え、新しい生活を始める決意をしたのか、その真摯な気持ち、姿勢は十分伝わってきました。

 その原田先生に、「結婚について子供たちにしっかり話してやるといい」とアドバイスをくれたのが加藤校長だったと、原田さんが振り返っておられます。
 
  この加藤校長も、私たちの記憶にくっきりと姿の残る先生でした。
 当時は毎日のように朝礼があり、全児童が校庭に並び、先生方の話を聞きます。
 そこで毎回のように加藤校長がおっしゃった言葉があります。

 「君たちは大切な子供です。お父さん、お母さん、先生にとって、そして世の中  にとって大切な子供なのです」
 「それを忘れず、自分を大切にして学んでください」

 その言葉の重さを、当時はあまりわかりませんでした。しかし繰り返し耳に入った加藤校長の言葉は、その後自分が成長する過程で、何度も蘇りました。

 加藤校長が伝えたかったのは、かけがえのない自分に気づき、大切にしろ、というアドバイスだったと思います。
 その「かけがえのない自分」という認識は、加藤さんご自身の生き方にも通じているのではないか。いまこのシリーズで晩年の書簡を読ませていただき、そう気づきました。

 老いに対しても、他人に頼らず自分で出来る限り対応する。その加藤さんの姿勢の裏付は、自分を大切にする、見失わない、つまりかけがえのない自分を他人に任せない、ということにあるのではないでしようか。

 私たちは戦後の団塊世代の子供でした。6年生の時は一クラスが56人で、一学年が10 クラスもあったのではないでしょうか。教室が足りないために、午前中だけの授業のクラスと午後からのクラスに分ける、2部授業もありました。百人近い先生であふれた教員室で戸惑った記憶も鮮明です。
 一つの小学校の児童総数が3千人を超すなどという、今からすれば信じられないほど過密な教育環境があちこちにありました。

 「マンモス校」という言葉もありました。そのようなすし詰めでかつ巨大な教育環境ではありましたが、今振り返ると、先生と児童のつながりは結構濃厚なものではなかったか、と思います。教師と児童との深い結びつき。それを良く築き得た時代を支えた教師の一つの象徴が、ここに紹介する加藤校長、原田先生の姿だったといま納得しています。

 団塊世代がいま高齢者になりました。皆これからの生き方に戸惑いを覚えています。この書簡を読みながら、老いのなかで「かけがえのない自分」をどう守るのか。今また小学校時代の先生に教えていただいている感じがします。

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昭和36年(‘61年)5月上野小学校6年6組が奈良に修学旅行をした時の写真です。
最後尾中央が加藤校長、その右が原田先生です。

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