新聞のブラックボックス その4 了

新聞社の商品管理とは

 新聞の生き残り方として、前項「その3」までで新聞各事業の別会社化と営業体制の再構築を考えてきた。
 無論一番再考を必要とするのは、新聞社の取材、編集、配信、配送体制だ。この課題は別途まとめて検討することにして、まず新聞社の商品のコアである紙面の記事の問題点、課題点を思いつくまま示したい。

 新聞は製造業だと繰り返してきた。ならばその生産する商品管理は基本作業のはずである。ところが、その商品つまりニユースの管理が、消費者つまり読者の視点でほとんどされていないのだ。
 
 こういうと業界内、特に編集サイドから、ニュースの適正、妥当性について内部審査はもとより外部識者もいれて定期的に実施している、と反論があるだろう。
 確かに全国紙も地方紙も、記事審査委員会などの名称で社内、あるいは社外の委員などを選出し、定期的に紙面を検証している。

 紙面においてどの記事がどれだけ読まれているか、という調査「閲読率調査」というものがある。読者アンケートなどをベースに調べるものだが、新聞各社がこれを定期に実施し、それを編集、紙面構成などに生かしている、という話はあまり聞いたことがない

 この閲読率調査と少しクロスするのが、大方の社が実施している定期の紙面評価、審査だ。
どの社も、デスクあるいは編集委員クラスのベテランが、批評、審査員となり、週間、あるいは月間の自社ならびに競合他紙を検証し、その評価、問題点を指摘している。
 新聞社の一種の品質管理だが、この評価の仕方は内部からの視点であり、記事のニュース性、つまりどれだけの特ダネだったか、特オチだったかから始まり、正確性から論理性、問題点などをかなり克明に指摘、検討し、社内での情報共有を図っている。
 
 ここにかけている時間と労力は、他の情報媒体にはないもので、新聞の信頼性を支える主要施策の一つでもある。それだけにこの批評、審査過程は読者にとっても有用な記事、コンテンツになるはずだが、ごく一部紹介されたことがあるだけだ。内部情報だけにせず、本来は読者に公開されるべきものではないか。 

 新聞社では、外部の有識者の紙面審査委員を置くケースもある。しかしこれも月に1回程度、その議論がまとめて記事化されるのみで、その内容も主要記事の評価、課題の指摘というレベルにとどまっている。
 
 今新聞社はデジタル版も配信している社が多い。このデジタル記事であれば紙面というより、個々の記事ごとに読まれているかどうかの数値的把握が確認できるはずだ。しかしこれも本格的に採用し、編集に生かしているケースをまだ知らない。

 ネットにフェイクニュースやコピペ情報が氾濫する時代に、新聞記事はどうあるべきか、何を読者が求めているのか、などという情報市場の変貌を視野に入れた論議は行われていない。読者の視点がないのだ。

 その読者の視点が忘れられている、というケースを具体的に紹介してみる。
 
 誰が見る紙面なのか
 
 その筆頭に例示したいのが株価欄だ。
 経済専門紙を掲げる日経はまだしも、一般紙も多くが株価欄に何ページも割いている。
 しかし株価については、すでにネットで即時その時々の株価が無料でチェックできる。チャートも刻々と示され、設定価格の通報システムもあり、何よりその場で売買ができる。解説など関連情報も豊富だ。
 
 ここまで至れり尽くせりサービスが普及している中で、一日1回、夕刊を入れても2回の過去の株価情報を必要とする読者とは誰なのだろうか。携帯やスマホ、PCを使えない高齢者の一部か、とも考えたが、日々の株価をもとに積極的に株の売買をする人が、携帯もパソコンも使えないということがなかなかイメージしにくいのだ。
 もし今株価欄を廃止したら、どれだけの部数減になると新聞社は危惧しているのだろうか。
 この数ページにわたる欄を他の編集部局に開放し、記事量の充実をさせるほうが読者サービスになるのではないか。あるいはページを減らし、価格を下げる選択もあるだろう。

 もう一つ、誰が読んでいるのか気になる記事が受験シーズンに現れる。
 大学入試センター試験や各地の高校、著名学校試験の問題の掲載だ。大体が中面に載るが、いずれも数ページにわたり、各教科の問題と一部は解答例も示される。
 しかし実情でいえば受験生の多くは学習塾などの速報を受けているはずだし、受験生の家族がどれだけ見るのか、その閲読状況を検証した社があるとは聞いたことがない。

 一番読まれる手抜き紙面

 一方で、読者を持ちながら手抜きをしているとしか考えられない記事欄もある。
 おそらくどの新聞でも今も最大の読者を持つのがテレビ欄だ。
 もう30年近くまえ当方が現場にいるころ、ある地区に配布する新聞のテレビ番組の組日を一部間違えたことがある。新聞が配達され始めた午前6時ごろから、本社の電話は苦情電話で回線がパンクした。会社はその新聞十数万部を回収しなければならなかった。
 一般記事でも、誤報をすればその指摘と抗議などの電話はかかってきていた。しかし早朝から、当時は配置されていた数人の電話交換手が応対できないほどの反響は初めてで、改めてテレビ欄の需要を思い知らされた。

 新聞社はテレビ欄の閲読率がトップであることはだれもが知っている。ゆえに日本経済新聞を除くほとんどが、新聞の最終面という一面に続く看板ページにテレビ番組のいわゆる短冊表を載せている。

 長くなるが、これほど読まれるテレビ欄だが、番組一覧表を載せるばかりで、テレビ番組の詳しい紹介、評価、解説は誠に少ない。そしてその大半がテレビ局から提供されたPR情報を仕立て直したものなのだ。
おそらくテレビ番組の担当記者は、全国紙でも一社数人ではないか。昔はラテ部などという組織があったが、今は学芸、文化部の記者が担当しているケースが多い。一番読まれている記事に一番人手をかけない。これがテレビ欄の実情だ。

 例えば新聞の映画批評と比べるとわかるが、テレビの解説や批評は、連日の放送情報量からすると映画に比べ数十分の一以下ではないか。映画評論家は多くいるが、はるかに大きな影響力を持つテレビについての評論家はほとんど目にしない。テレビに出る政治、社会、生活、スポーツなどの評論家はあふれるほどいるが、テレビの放映する番組、コンテンツそのものを対象にする評論家がなかなか見当たらない。

 この評論不在はテレビの悲劇だと思っている。
 映画や舞台の評価は新聞にも多く掲載され、制作側にも観客、視聴者にもそれなりに重く受けとめられている。

 評論があることでその対象となる作品、番組の質的向上が生まれるはずだ。しかしテレビにはそのような評論がないために、視聴率という質を度外視した物差しに狂騒することになる。一方で毎日大量に放映される番組の大半が、評価を得ないままに消えていく。

 新聞のテレビ評は、テレビから距離を置く媒体だけに、評価の客観性が生まれる。無論テレビも新聞の批評を充実させるべきだ。相互の批評が充実すれば、それは読者・視聴者のメディアリテラシーを高める効果も生まれるだろう。

 このような視聴者の動向に無頓着なテレビ番組掲載が続いているが、テレビの録画システムはすでに視聴者の半数以上に普及しており、録画を使ったタイムシフト視聴率を押さえないと、視聴実態が把握できない時代になっている。

 そして今や新聞を見なくても、テレビ画面とリモコンによる簡単な予約システムが普及してきた。この録画の増加に対応したテレビ欄改革が必要だが、その動きは見えない。

 話がテレビにそれてしまったが、丁寧な番組紹介、批評を怠ったままの新聞のテレビ欄は、いま急速に読者を失っているはずだ。
 
 株価、試験問題そしてテレビ欄と、読者とミスマッチを起こしていると思われる紙面について紹介した。この課題に対応するには、読者の要求と新聞の役割の双方を勘案した紙面改革が必要だろう。
 この紙面改革という表現は、業界内では年中行事の様に使われる。しかし新聞が生き残るためのそれは、これまで紹介した株価欄などの廃止も含む根本的なものが必要となる。そしてその根本改革には、前提となる取材体制の見直しも欠かせない。

この項 了

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