新聞の再生のために その3

 面白い記事がない

 「その2」までで、ネット時代の新聞に必要な記事とは、を考えた。速報性から抜け、専門化する取材対象の中で「わかりやすさ」をどう実現するか。それを池上氏の事例から探ってきた。
 速報性からわかりやすさへ。その為の新しい視点。それにもう一つ検討しておきたいことが記事の面白さだ。

 新聞社に長年いたために、周りに熱心な新聞読者が多い。編集に残る知人もいる。昨今彼らに共通するボヤキが、「面白い記事がない」だ。
 
 これについて朝日新聞の鎌田慧氏のインタビュー記事にいい指摘があった。鎌田氏は「日常業務のようにただ与えられた仕事をこなす記者には本当に面白い記事は書けませんよ」という。(「語る 人生の贈りもの」)
 
 面白い記事を書くためには、取材対象を新たに発掘するか、目の前にある取材対象そのものを新しい視点で切り込まなくてはならない。面白さを生む前提は取材の手法にある。
 鎌田氏は取材について「材料を取るために人に会うのではないのです。人に会うことによって、その触れ合いの中で自分にはないものが形成されたり新しい視点を教えられたりする。そういうことを積み重ねていくことが取材だと考えている」。(同)
 しかし取材対象とのこのような豊かな相互作用を生むには時間がかかる。

 鎌田氏のいう「与えられた仕事をこなす」だけの記者、「受け身記者」とはある意味、新聞社にとっては扱いやすく、好まれる人材でもある。担当の現場で官庁などの発表情報を手早く記事にまとめる。事件があれば5W1Hをそつなく押え、迅速に送稿する。デスクの評価は上がり、本社の陽の当たる取材担当への、いわゆる出世もしやすい。
 速報、ウェブファーストを掲げる新聞社も多い。短時間にまとめるという要領が体得できないものは外される。検索、コピペが氾濫する中で、小器用に記事をまとめる記者ばかりが育つ土壌が拡大しつつある。

ネット時代の記者育成

 このような状況が進展する中で、わかりやすさや一般読者に橋渡しになる取材と編集、そして面白い記事が書ける記者がどうしたら育つのかについても触れておきたい。

 国内の新聞社の採用方法は新卒採用が中心だ。一般教養、時事問題、語学の試験、そして作文、最後に面接という試験方法を踏襲してきた。

 しかしこれまで見てきたように、これからの新聞記者に求められる能力とは、一般読者に必要と思う情報を見つけ、そこから学ぶという視点、ものの見方、姿勢だ。しかし従来の採用方法ではこの大切な資質を測る、見い出すことが難しい。

 採用後の記者は、全国紙の場合まず地方の支局に配属される。そこで数年、警察、市役所など官庁などを回りながら、取材の基本動作を学ぶ。
 ここでの研修は現場主義、OJT=職場を通しての教育訓練ともいえるが、先輩記者の仕事の見よう見まねであり、その先輩も配属されて数年であり、記者としての技量を備えたとは言い難く、ましてや指導法のノウハウなど持ってはいない。
 
 全国紙の地方支局は経費削減から縮小傾向になり、多くても10人未満、デスクと記者数人というところが多いはずだ。
 ある意味、未完成のまま数年を経て東京、大阪などの本社に異動する。この段階で、記者の担当分けが決まる。政治、経済、文化、運動、社会そして整理部など、それぞれ記者の特性が考慮される、とはこれも言い難い。第一、支局レベルでそれぞれの部局を経験した先輩、上司はほとんどおらず、適切な業績評価ができ、その上での人事というものは実現していない。
 各部局の要員事情をもとに、支局長やデスクなどのわずかな評価、情報で、記者の一生の方向性が決められていく。本社に「上がる」という表現を取るが、その本社に戻らないまま、支局など地方機関を転々とし記者生活を終わる者もいる。

 このような記者の育成システムは、半世紀余り前から今もあまり変わっていないのではないか。
 一つ評価できることはある。現場放任主義ともいえる極めて生産性の低い教育制度だが、一人の記者に育成に数年から10年近くかけるというのは、新聞社だけにしかない。
 多くの記者の中から優れた取材編集力を持つ先輩を探し出し、マンツーマンに近い形で指導を受けそのノウハウを会得する。優れたデスクに日々原稿をみてもらう。記者がその気になれば、この濃密な研修を新聞社ではまだ受けられるのだ。

 別項で、記者は現場で育つと記した。それは同時に大きな事件などでチーム取材をし、その集団の中から自分の目標とする記者を見いだし、そこから学ぶということでもある。
 
 そしてこれは同じ会社内、チームに限定されることもない。同じ事件を追っている競合他社の記者からも学ぶことは多いのだ。  

 新聞にまだ存在感があった前世紀末、業界には会社の壁を越えて目標とする記者、ジャーナリストがいた。これは先ほど紹介した鎌田氏のいう「面白い」記事を書く人々だった。
 鎌田氏がインタビューで紹介している疋田桂一郎、それに深代惇郎、本多勝一、本田靖春、大森実、立花隆、柳田邦男などなど。鎌田氏もその一人だが、会社は違い、フリーであってもその時々の彼らの仕事をチェックしなくてはならない力、魅力がそれぞれの記事、作品にあった。
 ここまで名前が出ないにしろ、各社、職場で憧れとなり、目標となる先達、同僚が多くいたはずだ。

 これはリタイヤしたものの独善、妄言と言わるかもしれないが,ネット時代が始まった今、このような刺激を受け学ぶような存在が極めて少なくなったのではないだろうか。

 新聞記事の主要素はいつ、どこで、誰が、何を、どうした、という5W1Hだ。これは簡潔に情報をまとめるためのチェックポイントだ。そしてこの取材はある程度システム化できる。取材のノウハウも覚えやすい。
 しかしこの速報以外の解説、評価、そして面白い記事は、そのための取材など作業の定型化が難しい。それゆえ指導も難しい。この分野の能力を高めるための記者育成システムはまだ見当たらない。

 いま必要なことは、改めてネット時代の記者に求められるものを再認識することだろう。その個々に応えるための方法を、まず模索するしかない。
 しかし制度的な方策とは別に、これからのネット時代も、記者の成長に大きな影響を与えるのは、優れた先達や同僚、競合するライバルのはずだ。そのような刺激を受けられる環境にどのようにして記者を置くことができるか。これは会社が組織的に作ることも必要だが、記者個人の自覚によりその場を探し、入り込むこともできるはずだ。

 情報検索能力 ネットの駆使能力などは現代の記者に必要な能力だろう。パナマ文書問題などを追うために、国際報道におけるジャーナリストたちの協力なども必要になる。記者に求めらる資質、能力はますます大きくなる。ネット時代の新聞の再生のために、それらに挑む記者たちの自己研鑽に期待したい。

この項続く

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